騙されてもいい
ふと騙されることについて考えてみたくなりました。『騙されてもいい』ってすごい言葉でしょ?
昭和の歌謡曲にでてきそう。
私自身は騙されてもいいと思ってます。でも騙されない自信はある!
知らずに騙されていることもあったのかもしれませんが本人にその自覚はありません。
ここでの『騙されてもいい』は
人の不安につけこんで悪意100%で金品など、その人の全てを奪うみたいな悪質なものは例外。
良くある高い壺を買わされるっていう良くある話しも道理としてはダメなんですけど、本人が正確に状況を把握できていてること
「今、私は高い壺を原価に見合わない値段で買っている。」とわかっていて納得しているならよいと思うわけです。
それで心が救われてる人もいるわけだし
もちろん程度よりますが。
決して詐欺を肯定してるわけではありませんし、倫理観が欠如している人間でもありません。
騙す側が悪っていうのは間違いない事実です。倫理的な観点からも。
何が言いたいのかというと
騙される人間の受け取り方の問題でもあると思います。
常に騙されている!嘘をつかれている!と疑心暗鬼になる。相手が信じられないのループに陥って関係性を深められないなんて寂しすぎるでしょ?
たとえ嘘をつかれた、騙されてるかもと思う自分がいたとしても、
ギャー許せない!と思う前に
冷静にその自分の認知の在り方をさらに認知することが大事じゃないのかなと。
メタ認知ってやつですね。
大きな悪意を持って騙そうとしているかを見極めて、そうでもなかったらその嘘に乗っかって騙されてみる。
そこから何かの学びがあるかもしれない。
お前は何を言ってるんだ?と思われるかもしれませんが
そんな心の余裕を持つことが
『騙されてもいい』
なのかなと思います。
何度も言いますけど、騙すことが悪いのは間違いない事実です!
悪質なものは裁かれるべきです!が
長い人生の中で考えたら、騙されるなんて一瞬の出来事だったりしませんか?
ちょっとしたかすり傷だと思えるようになればたいしたもの。
相手の嘘もまるっと包み込んで、いつでも穏やかで明るい前向きな人間になりたいと本気で思ってます。